人生に偶然はないが、人生は偶然の連続である。

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最終更新日 2025年3月19日

ある日のこと、いつもながら昼過ぎに近所を散歩していました。

天気がいい日に何も考えずゆっくりのんびり散歩をしていると、日常生活のストレスや嫌悪感を感じる嫌な出来事から解放され、気分が清々しくなってきます。

どうにもソリが合わない知り合いとの連絡や、想像するだけで胃が痛くなるくだらない飲み会の誘い、ストレス発散と称してお酒と音楽を浴びながら騒ぎ明かすクラブ、しょーもないドラマに影響された恋愛での駆け引きや、将来の仕事への不安などから一瞬にして自由になれるのが散歩という営みである。

自分にとって散歩とは、すべてから自由になる瞬間であり、身も心も解放してくれる神聖な時間です。

散歩をしているだけで次々に新しいアイディアが湧き、家に着くなりパソコンの前でひたすらキーボードと脳みそを走らせる瞬間が心地よい。

竜崎
そんなある日、私は横断歩道を渡ろうと信号のボタンを押しました。

その信号は渡る人が少ないからなのか、ボタンを押してもすぐに変わることはなく、早くても3分前後の時間がかかります。

ボタンを押してのんびり車の流れを見ていると、反対側におばぁちゃんがやってきました。

おばぁちゃんも横断歩道を渡ろうと、そばにある信号機のボタンを押す。

そしたらなんと、信号機は一瞬にして青になり、おばぁちゃんはゆっくりとした足取りで横断をはじめた。

その瞬間ピンときた。

このおばぁちゃんはきっと、自分がボタンを押したから信号機が変わったと思っています。

竜崎
しかし事実は、先に私がボタンを押しており、ボタンを押してから信号機が変わる瞬間と、おばぁちゃんがボタンを押した瞬間が偶然一致しただけのことです

つまり、おばぁちゃんは偶然の出来事に騙されてしまったのだ。

 

人生は偶然の連続

もちろん、おばぁちゃんの真意はそのおばぁちゃんにしかわからないし、ここで述べていることは私の推測でしかありません。

しかし、ここで重要なのは、おばぁちゃんがどう思っているかではなく、人は偶然の出来事を自分のおかげだと勘違いしていることが多いという点です。

人生は偶然の連続にもかかわらず、人間はそれを自分の実力だと勘違いしてしまう。

昔からよく、人は自分の実力を本来の実力よりも過大評価する傾向があると言われています。

ある実験では、アメリカに住む成人男性の80%が、自分は平均的な人間よりも仕事ができて、平均的な人間よりも車の運転がうまくて、平均的な人間よりも顔がイケてると思っていて、平均的な人間よりもセックスが上手いと思っているという結果があります。

人は誰しも、あらゆる面において自分は平均よりも上だと思い込んでいるのです。

こうした人間の傾向は日常生活のありとあらゆる面に顔を出し、さきほどのおばぁちゃんのように、事実はただの偶然だったとしても、自分のおかげでうまくいったと思い込んでしまいます。

人は偶然の確率を過小評価し、自分の実力を過大評価する。

もちろん、偶然を自分の手柄にしたところで、自分が気分よく一日を過ごせるのであれば何も問題はありません。

身の回りに起こる出来事が、普段の自分の行いがいいから起きているのだと思い込んでいる人は、運がいいことを偶然だと判断する人よりも幸せです。

竜崎
でも、ここで私が伝えたいのは、私たちが思っている以上に人生は偶然の連続で成り立っていて、偶然が人生を支配しているといっても過言ではないということ。

 

人生に偶然はない?

運の流れを信じている人は、何かうまくいった出来事が立て続けに起これば、次も、そのまた次もうまくいくと思い込んでしまいます。

競馬で3回連続単勝を当てれば、自分には馬の性質を見抜く才能があるのだと思い込む。

パチンコで3日連続大当たりの台に座れば、自分はパチンコ店の特徴や台の微妙な設定の変換まで見抜けると勘違いする。

もちろん、真実はただの偶然に過ぎないのだですが。

ほぼ無限に等しい数のサルをパソコンのキーボードの前に座らせ、一斉にキーボードを叩かせれば何匹かはまったくの偶然でサン・テグジュペリの「星の王子さま」を書き上げます。

たとえどれだけ確率の低い出来事であっても、起こる時は起こるべくして起こるのです。

しかし、人生は偶然の連続で成り立っているけれど、人生には偶然はないとも言えます。

世の中には決定論を信じている人たちがいます。

決定論とは、簡単に言うと「人生に偶然はない」という立ち位置の人のことで、人生で起こる出来事はすべて必然、事前にすべての因果が決まっているという考えです。

竜崎
私は人生は偶然の連続だと思っていますが、それと同時に人生に偶然はないとも思っています。

どういう意味かと言うと、人生で起こる出来事のすべては決定論的で必然的に決まっているのだけれど、人間の目にはそれがわからない、人間には偶然にしか思えないという意味です。

物事の因果関係を見るのはとても難しく、Aの後にBが起こったとしても、AがBを引き起こしたとは言えません。実は別の要因であるCがBの原因だったかもしれない。

そして人生という数えきれないほどの変数が存在する中では、人間には因果関係を見ることはできない。

だから、実は因果でつながっていたとしても、人間には偶然にしか見えないのです。

 

人間は偶然の連続の奇跡

そんなことを考えながら散歩をしていると、私たち人類が今ここに存在しているのも、10の100乗以上の偶然(必然)が起こした奇跡なのだとあらためて実感します。

今地球に存在している私たちは、スーパーコンピュータを使って何億年と計算しても数えきれないほどの、物質の相互作用がもたらした偶然(必然)の奇跡の現象の果てに今ここに存在しているのです。

どこかで何か一つでも物質の作用が変わっただけで、おそらく私たちは今ここに存在していません。

竜崎
複雑系のカオス理論は、人間には到底理解することができない相互作用に基づいています。

イギリスで蝶が羽ばたいた結果が、いくつもの相互作用を経た上で、アメリカのハリケーンを起こすこともあるのです。

私も今これを読んでいるあなたも、本来なら起こるはずがないありえない偶然が幾度となく重なった結果、仕事や恋愛を楽しみ、家族との団欒に幸せを感じ、好きなことに一生懸命取り組み、友達や恋人と笑いながら生きています。

人生は偶然の連続です。そしてその人生も、偶然によって生まれています。

月並みかもしれませんが、私たちは今ここにいること、生きていること、呼吸していること、仕事ができていること、好きな人と一緒にいること、家族を持っていること、笑えること、幸せを感じられること、美味しいものを食べられること、世界遺産を見に行けること、音楽を楽しめること、友達と電話ができること、お酒を飲めること、散歩ができることに感謝しなければなりません。

忘れないでください。私やあなたの存在自体が偶然の奇跡なのです。

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