最終更新日 2025年4月15日
現代にはたくさんの娯楽、コンテンツ、情報が溢れている。
そうした時代に生きる私たちは、常に何かしていないと落ち着かないという気持ちにさせられてしまう。
週末に暇な時間があると何かしなければと思ったり、何もせずにダラダラしていると何もしないことに対して罪悪感まで感じてしまう。
やろうと思えば何でもできる世の中だからこそ、何かしていないと落ち着かない。
しかし、人間は生きている限り何かをしなくてはならないという使命を負っているわけではないし、何かすることが人間として価値があるわけでもない。
何もしなくても人は生きていけるし、焦りを感じる必要もないし、暇が時間がたくさんあることに満足しているのであればそれでいいのである。
でも現実では、多くの人たちが暇な時間を嫌い、週末に予定が何も入っていなくてゴロゴロしていれば、日曜の終わりに絶望感と孤独感と空虚感を実感しつつ「サザエさん症候群」に陥ってしまう。
何かしていないと落ち着かないと思う割りには、何もせずに時間をムダに過ごし、精神的に不安定になる。
現代人が抱えている「何かしていないと落ち着かない」というのは、「何もしないとつまらない」という言葉の裏返しなのだ。
不安にならないために何かをする
さて、どうして現代人は暇な時間や退屈な時間を苦痛に感じ、何かしていないと落ち着かないのか。
周りを見渡せば、多くの人が毎日仕事と時間と人間関係に追われている。
平日は残業もいとわずにみっちり働き、仕事が終わって家に帰っても家事やらなんやらに時間をとられ、気づけばもうお風呂に入って寝る時間。
週末は同僚や友達と朝方までお酒を飲むか、ゲームやアニメ、映画といったコンテンツの消費で夜更かしし、起きたらもうお昼過ぎ。
ベッドやソファでスマホをいじりながら、ゴロゴロしていれば外は真っ暗になっている。
こうした忙しなさは、一見ストレスが溜まるものであるかのように感じるが、実際には多くの人たちの心を救っていたりもするのだ。
というのも、暇な時間があると人はネガティブなことばかり考えてしまい、不安が心に渦巻いて暇な時間が苦痛な時間に変わってしまうからである。
つまり、何かしていないと落ち着かないというのは、何かしていないと不安になる、という意味なのだ。
暇な時間を埋める仕事や人間関係は、ストレスという代償を払いながらも、実は不安の解消に貢献している。
でも、こうした生活を送っていても、なぜか心は一向に満たされない。
その瞬間は楽しかったとしても、刹那的に暇をコンテンツ消費で埋める日々を送っていると、どんどん刺激的なものが欲しくなってくる。
人間はないものねだりな生き物であり、今自分が手にしていないものを欲しがる生き物である。
自由な時間がないときは自由を渇望し、いざ自由な時間を手に入れれば仕事の忙しさや充実した人間関係が欲しくなってくる。
そして、それらを手にしたらまた自由を求めて、の繰り返しが人間という生き物なのだ。
何かしていないと落ち着かないのはなぜか
人生と人間は基本的に繰り返しで成り立っている。
何かを求めて手に入れて、手にしたものに慣れればもっとグレードが高いものが欲しくなる。
iPhone16を持っていてまだまだ使えるとわかっていても、iPhone17が発売されれば欲しくてたまらなくなる。
こうした状態は心理学で「トレッドミル効果」と呼ばれていて、人間の欲求や欲望はトレッドミルを走るように終わりがないという比喩で使われている。
現代人が何かしていないと落ち着かないのも、心理的にはトレッドミル効果が関連していると言えるだろう。
何かしていないと落ち着かないという気持ちは、今のままじゃダメだと思っているからこそ湧いてくる感情であり、今のままじゃダメだという感情はより多くを求める気持ちに端を発している。
何かしていないと自分の人生がつまらないものだと気づいてしまう、だからマンガやアニメ、ゲームやYouTubeなど何でも使い、暇な時間を根こそぎ刈り取っているのだ。
つまり、何かしていないと落ち着かないという人は、今自分が持っているものに満足できていないのである。
今の自分と人生を受け入れ、不安な気持ちを手懐け、特別なことや刺激のあることなんて必要ないのだと納得できれば、何かしていないと落ち着かないなんてことはなくなるだろう。
何かをするから満たされるのではなく、何もしなくても心が満たされている状態。
本当に精神的に満たされている人は、何もしていなくても心は平穏である。
逆に、いつまでも自分には何か足りないと感じていたり、あれこれ刺激を求めて欲しがったりしていれば、これから先も暇な時間や自由な時間があるたびに不安と焦燥感に駆られ、何かしていないと落ち着かないままだ。
「何かしていないと落ち着かない」というのはまさに現代病である。
何でもできる現代だからこそ、何かしていないとと思ってしまう。
まるで満腹状態で目の前にお寿司を出され、残すのが悪いことだと思ってしまうかのように、人間は欲張りで強情ですべてを欲しがってしまうのだ。
足るを知ることで心は満たされる
何もしない時間に満足を感じられる人は強い人間だ。
SNSを見れば、「行動することが大事」と駆り立てる言葉が一日中タイムラインに流れているだろう。
自称意識高い系の人間は、行動しない人間はバカでまぬけで時間を無駄に浪費していると言うが、なんてことはない、彼らこそ本当は時間を無駄にしているのだ。
彼らはムダな時間が宝物であることには決して気づかない。
行動することが正しいと思われている世の中で、行動しないことを決断するのはとても難しい。
風邪を引けばすぐに病院に行ってしまうように、人は何か行動を起こすことで不安を和らげて生きているのだ。
何かしていないと落ち着かないのも同じで、暇な時間があると不安になってしまうから、刺激を求めて何かをしてしまう。
本当はなにもしないほうがいいとわかっていたとしても、行動せずにはいられない。
17世紀のフランスの哲学者であるブレーズ・パスカルもこう言っている。
人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことだ。
社交や賭事の気晴らしを求めるのも、自分の家に喜んでとどまっていられないというだけのことからである。
何かしていないと落ち着かないほど、情報やコンテンツが溢れている現代社会の中で、本当に自分を満たしてくれるものを見極めるのは難しい。
不安やネガティブになるからという理由で、暇な時間を毎日コンテンツ消費や浪費に費やしていても、根本的な不安はなくなってはくれない。
見るべきはコンテンツではなく、自分の心の状態である。
私たちは不安を手懐け、不安と友達にならなくちゃならない。
心の充足に必要なのは、消費や浪費ではなく、何もしなくても自分は満たされていると気づくこと。
別の言い方をすれば、「上質な暮らし」を送るということだ。
老子が述べた「足るを知る」という言葉のとおり、何に対しても満足すること、何もしていないことに満足することが、精神的に豊かになるために必要なものなのである。
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