最終更新日 2025年4月23日
目次
働く意味を考える
人は生きていく中で、誰もが一度は「人生とは?」「生きる意味とは?」といった壮大なテーマに頭を悩ませる。
とくに「働く意味」については、精神的に疲れたときや心に余裕がないとき、「何のためにこんなに働いているんだ?」と自問自答してしまう瞬間がある。
私もその一人である。
仕事は人生の大部分を占める。
社会人として過ごす時間のほとんどは、職場で汗を流したり、パソコンの前でカタカタやったりしているのだから、仕事にやりがいを感じられなかったり、働く意味を見失ったりすると、人生そのものがどんよりしたものになってしまう。
だが、働く意味に絶対的な答えはないし、考えても答えが出ないこともある。
それでも、忙しさや疲れに追われる中で「もう仕事辞めたい!」と思う瞬間があるなら、ここで少し立ち止まり、働く意味を考えてみるのは悪くない選択である。
この記事では、「人は何のために働くのか」「働く意味とは何か」「仕事とやりがいの関係性」について深く掘り下げていく。
ただし、これはあくまで私の仕事観であるため、万人に当てはまる正解ではない。
「へえ、こんな考え方もあるんだ」と軽い気持ちで読み進めてほしい。
働く意味の結論:お金、生きるため、食べるため
何年も「働く意味って何?」と悩み続けた私がたどり着いた答えは、シンプルかつ現実的だ。
人間が働く意味は「お金のため」「生きるため」「食べるため」である。
なんともロマンがない答えだが、これが真理だと確信している。
世の中の成功者やキラキラした自己啓発本には、「お金のために働いているわけじゃない!」なんて甘い言葉が並んでいるが、そんな言葉に騙されちゃいけない。
人間は生きるために働くのだ。
生きるためには食べなきゃいけないし、食べるためにはお金が必要。
これが仕事の基本であり、人生のリアルなルールである。
働く意味に高尚な理由を求める人もいるが、現実は「お金のために働く」「生きるために働く」「食べるために働く」という厳然たる事実がドンと構えている。
もちろん、崇高な使命感や気高い仕事観を持って働く人もいるだろう。
しかし、そういう人たちだって、最終的には「衣食住を確保するためにお金を稼いでいる」という事実に突き当たる。
「やりたいこと」をやるにも、まずお金が必要
SNSでは「やりたいことをやってます!」とドヤ顔で語るインフルエンサーやビジネスマンをよく見かける。
たしかに、やりたいことを仕事にするのは素晴らしい。
しかし、どんな夢を追うにも、まずは生きていなきゃ話にならない。
生きるためには食べなきゃいけないし、食べ物を手に入れるにはお金が必要である。
つまり、やりたいことをやるにも、結局はお金がいる。
現代社会では、「働く=お金を稼ぐ」という構図が避けられないのだ。
漫画『闇金ウシジマくん』の主人公が「金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ」と言っているシーンがある。

この言葉は、働く意味の核心をズバリ突いている。
日本では「円」が価値の基準であり、どれだけ「近所の川で拾った石が価値ある!」と熱弁しても、石でパンを買うことはできない。
モノを買ったり、家に住んだり、税金を払ったりするには「円」というお金が必要なのだ。
これが日本に住む者の宿命である。
お金はすべてじゃない|幸せのハードルを下げる
とはいえ、「お金のために全てを犠牲にしろ!」と言っているわけではない。
「お金さえあれば何でもできる!」と考えると、「お金がなければ幸せになれない」という壮大な勘違いに陥る。
大事なのは、自分に必要なお金の量を見極めることである。
よく言われるように、幸せのハードルを下げるのは難しい。
しかし、自分にとっての幸福の基準を低く保てば、必要なお金は意外と少なく済む。
毎日の小さな幸せ――コンビニの新作スイーツや、友達との他愛もないおしゃべり――に喜びを感じられれば、高級レストランやブランド品、豪邸は必要ない。
幸せのハードルが低ければ、最低限の生活費を稼ぐだけでいい。
そうなれば、ブラック企業で心をすり減らしたり、やりたくない仕事を我慢したりする必要もなくなる。
働く意味がわからない人は、まず「自分にとってお金はどのくらい大事か」「どんなことに幸せを感じるか」を自問してみよう。
答えが見つかれば、働き方の選択肢が広がるだろう。
やりがいは仕事にあるんじゃない、自分で作るもの
「働く意味がわからない」という人の多くは、「もっとやりがいのある仕事がしたい」「人の役に立つ仕事がしたい」と考える。
毎日同じ作業の繰り返し、意味があるのかわからないタスク、ただ時間が過ぎるのを待つだけの仕事。
そんな毎日にうんざりしている人は少なくない。
友達と話していても、「仕事、つまんねえ」「もう飽きた」と愚痴る人が多い。
だが、やりがいとは、仕事そのものにあるわけじゃなく、自分で作り出すものである。
やりがいは「探す」からこそ、見つからないのだ。
探すのではなく、「やりがいは生み出すもの」と考えれば、明日からでも今の仕事にやりがいを感じられるかもしれない。
たとえば、接客業や介護職は「やりがいのある仕事」の代表格である。
お客さんやおじいちゃん、おばあちゃんから「ありがとう」と言われると、「自分は役に立ってる!」と感じる。
しかし、これは仕事そのものがやりがいを与えてくれるわけじゃない。
「めんどくさい」「早く帰りたい」とばかり考えていると、どんなに「ありがとう」と言われてもやりがいはゼロである。
自分の心の持ちようがやりがいを生んでいるのだ。
「あの人の仕事はやりがいがありそう!」というのも、その人が自分でやりがいを生み出している姿を、外から「いいなあ」と見ているだけのこと。
つまり、今の仕事にやりがいを感じられないのは、仕事のせいじゃなく、自分の仕事への向き合い方に問題がある。
このマインドのまま転職しても、きっとまた「やりがいがない」と不満を漏らすことになる。
やりがいを生む方法:主体的に取り組む
では、どうすればやりがいを生み出せるのか?
答えはとてもシンプルで、仕事に「主体的に取り組む」ことである。
働く意味がわからなくなったり、やりがいを感じられなかったりする原因は、仕事が「やらされている状態」だからだ。
「会社に言われたから」「上司に命令されたから」と仕方なくやっている仕事に、やりがいは生まれない。
主体的に取り組むとは、「どうすればうまくできるか」「もっと効率よくできないか」と自分で考えて工夫すること。
たとえば、コンビニの店員でも「商品を並べ替えて見やすくしよう」「お客さんが買いやすいように工夫しよう」と考えて動けば、ただの作業が「仕事」に変わる。
清掃員だって「この汚れをどうやったらピカピカにできるか」と試行錯誤すれば、やりがいが生まれる。
私もかつて「やらされている状態」で仕事をしていた時期があった。
毎日「早く終わらないかな」と時計ばかり見ていたあの頃は、仕事が苦痛でしかなかった。
しかし、「どうすればもっとうまくできるか」と考えるようになってから、仕事が少しずつ楽しくなった。
コンビニのレジ打ちだって、袋詰めのスピードを極めるゲーム感覚でやれば、意外とハマるものだ。
好きな作業を仕事にすれば、やりがいはもっと簡単
やりがいを生むもうひとつの方法は、自分の好きな作業を仕事にすることである。
とはいえ、「好きなこと」を仕事にするのはハードルが高い。
そこで、まずは「自分が好きな作業」を知ることから始めるのがいい。
普段「楽しい!」と感じることを思い出してみよう。
ゲーム、SNS、友達との時間、音楽、映画――その中で「どの作業が楽しいか」を考えてみる。
ゲームが好きな人は、「ゲームの何が楽しいか」を分解してみる。
頭を使って攻略するのが楽しいなら、「考える作業」が好きだ。
コツコツレベルを上げていくのが好きなら、「地道な作業」が向いている。
自分が好きな作業がわかったら、それに近い仕事を選ぶ。
好きな作業なら、興味のない仕事よりも断然やりがいを感じやすい。
私は「考えること」が好きだと気づき、試行錯誤しながら工夫できる仕事を選んだ。
おかげで、働く意味を見失うことが減った。
仕事は人生のアイデンティティになる
結局、働く意味ややりがいは「どんな仕事をするか」ではなく、「どんな姿勢で取り組むか」で決まる。
コンビニ店員だろうが、社長だろうが、主体的に取り組めば仕事は自分のアイデンティティになる。
逆に、どんな高収入な仕事でも「やらされている状態」なら、ただの作業でしかない。
働く意味の本質は「お金のため」「生きるため」「食べるため」だ。
しかし、仕事はそれだけじゃない。
自分の好きな作業を見つけ、主体的に取り組むことで、仕事は人生を豊かにするツールになる。
毎日「つまらない」「辞めたい」と思っている人は、まず目の前の仕事に小さな工夫をしてみよう。
商品の並べ方を変えてみる、作業のスピードを競ってみる、なんでもいい。
そこからやりがいが生まれ、働く意味が見えてくることもある。
働く意味は自分で見つける
私が何年も悩んでたどり着いた働く意味は、「お金のため」「生きるため」「食べるため」というシンプルなものだ。
しかし、仕事は主体的に取り組み、好きな作業を見つけられれば、仕事は人生のスパイスになる。
働く意味がわからない人は、まず「自分が何に楽しいと感じるか」を考えてみよう。
そして、目の前の仕事に小さな工夫を加えてみよう。
それだけで、仕事が少し楽しくなり、人生がちょっと明るくなる。
この記事は私の仕事観に過ぎず、読者にピッタリ合うかどうかはわからない。
でも、もし「仕事、つまんねえな」と思っているなら、試しに「主体的に取り組む」を実践してみてほしい。
仕事からやりがいを感じられれば、きっと、働く意味が少しだけ見えてくるはずだ。
コメントを残す