最終更新日 2025年3月4日
今の時代では毎日のように新しいものが発売されています。
コンビニやスーパーでは毎週のように新商品が発売され、家電量販店でもシーズンごとに新しい家電が発売され、スマホも毎年アップデートされた新シリーズが発売され、ゲームも毎週新しいものが発売される。
ひと昔前までは、需要に対して供給が少なく、誰もが欠乏とともに生きていましたが、令和という現代では供給が需要を上回り、先進国ではモノはそこら中に溢れかえり、毎日何トンもの食べ物が廃棄され、生活必需品に困ることはなくなりました。

人が常に新しいものを求めるのは、ドーパミンによる刺激に飢えているからで、既存のものに満足することよりも、ドーパミンをドバドバ放出してくれるような、刺激的で新しいものに飢えていることが原因です。
とくに現代のような情報の流れが早い時代の中で生きていれば、どこにいても常にドーパミンが刺激される社会の中で、まるでトレッドミルを走っているかのように欲求と欲望が刺激され続けます。
もちろん、新しいものを求めることが悪いわけではありません。
壊れたものを買い替えることで便利な生活が送れるようになったり、今までやったことがないゲームをやることで楽しい気分にさせてくれたり、新しい情報を知ることで知識や見識が磨かれていく。
でも、何でもかんでも新しいものにすればいいというわけではありません。
とくに信念や価値観といったものは、現代の多様性を重視した信念や価値観よりも、昔から伝わっている信念や価値観のほうが現代では有用になることもあるのです。
価値観が多様化する現代
現代では「多様性」をキーワードに、個性や生き方、信念や価値観といったものが「人それぞれでいい」と言われることが増えています。
「みんな違って、みんな良い」という言葉も、1人ひとり異なる生き方、異なる価値観を持っていることを肯定する言葉です。
たしかに、現代は昔と比べて生き方や価値観が多様化している時代で、個々の好き嫌い、得意不得意に合わせた仕事を選ぶことができ、意見が合わない人や価値観が合わない人とは付き合わず、1人ひとり自由に生きることができます。

とくに日本においては若者の自殺率は年々右肩上がり、自殺までいかずとも鬱病などの精神疾患の数は昔と比べて格段に増えています。
精神疾患に関しては、今まで病気だと判断されなかった症状が病気と判断されることにより、精神疾患の患者が増えたとも言えますが、それでもこれだけ多様性だのなんだのと言われる自由な国であるはずの日本で、精神的に病んでいる人が増えているのは事実です。
では、なぜ個性や価値観が多様化した現代において、精神的に病んでいる人が増えているのか。
あくまで個人的な推測に過ぎませんが、それは現代人が持つ信念や価値観、生き方が間違っているからです。
価値観の多様化と間違った生き方
生き方には正解や間違いを判断する手段がないため、現代人の生き方が間違っているということが間違いかもしれません。
ですが、信念や価値観、個性や生き方といった自由を与えられているのにも関わらず、精神的に病んでいるのは何かが間違っている証です。
スマホをいじっている時間が長いからだとか、仕事に忙殺されているからだとか、お金がないだとか、そんなものは枝葉末節でしかなく、もっと根本的な部分、現代人の信念や価値観、生き方に誤りがあると言えます。

個性を重視する生き方、個人主義の台頭、価値観の多様化など、人々や社会の意識は時代とともに刷新され、常に新しいものが生まれています。
でも、新しいものというのはその性質上、脆いものであり、問題が顕在化されていないという点で脆弱なものです。
一方、昔から現代まで伝わっている信念や生き方、考え方や価値観といったものは、時の試練を乗り越えて現代まで伝わっているがため、その性質上、頑強でおおよそ正しいものが多い。
間違った思想や信念、価値観といったものは時の試練によって忘れられ、現代には伝わず、流行ったりもしません。たとえば、ナチス・ドイツの優生思想などがそれにあたります。
現代で流行っている、個性を重視する生き方、個人主義の台頭、価値観の多様化といった信念や生き方は、まだ時の試練を受けていないため、間違っていたとしても問題にはなりません。
だからこそ、現代人は自分たちが間違った価値観を持っていたり、間違った生き方をしていたとしても気づかず、自分でも意味がわからないうちに精神を病んでしまうのです。
宗教の価値観の強さ
何度も言いますが、価値観や生き方といったものに対して正解や間違いということ自体が間違いなのかもしれません。
ですが、少なくとも昔から現代まで生き残っている信念や価値観は、間違いだとは言えません。
たとえば、宗教は1万年以上前から存在し、色々と形を変えながらではありますが、現代でも宗教という思想は生き残っています。

宗教と比べれば、多様性だの個性だの個人主義だのといった価値観は、昨日生まれたものと変わりありません。
宗教と聞くと反射的に拒否反応を起こす人も少なくありませんが、どの宗教も言わんとしていることは大体同じです。
隣人を自分のように愛せ。
自分のために他人を害してはならない。
他人にしてもらいたいと思うことをしろ。
自分がされたくないことを人にしてはいけない。
これらの黄金律は、現代の価値観とは真逆であることがわかります。
現代では、個人主義の台頭によって他人のことは気にせず、自分を愛せと言われる。
個性を生かし、自分の利益のために他人を欺き、余計なものを売りつけようとする。
他人に何か与えるのではなく、自分が受け取ることしか考えない。
SNSなどで自分がされたくないことを他人にすることで、自分が優位に立っていると勘違いする。
若者を中心としたこうした現代人の価値観が、生きづらさや精神的な病を引き起こしているのはある意味当然です。
時代によって人々の考え方や価値観が変わるのは当たり前ですが、新しく形成される価値観の多くは誤りであることが多いので注意しなければなりません。
自分にこだわると不幸になる
現代で流行っている個性、個人主義、多様性といったものは、他人との協力を拒み、自分のことだけを考え、自分の人生にしか興味がない人たちを作り出します。
こうした変化は、社会の成長ではなく退化です。

たしかに、現代では他人のことをあまり気にしなくても、1人で十分楽しく生きられる時代になっています。
娯楽やサービスが溢れかえり、毎日次々に新しいモノやコンテンツが生まれ、1人で部屋に引きこもっていても問題なく生活できる時代です。
そうした生活に心地よさを感じるかもしれませんが、自分のことだけを考えて生きる生き方が、あなたを不幸にしているかもしれません。
結局のところ、人間という生き物は他人との協力に喜びを感じ、他人を助け、他人に助けられながら生きるのが一番合っているのです。
古くから生き残っている宗教の黄金律、いわば格言は個人主義と価値観の多様化に毒されている現代人にとっての処方箋になるでしょう。