価値観の多様化がもたらす現代社会の課題と生きづらさ|個人主義を超えて

価値観の多様化
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最終更新日 2025年4月15日

今の時代では毎日のように新しいものが発売されている。

コンビニやスーパーでは毎週のように新商品が発売され、家電量販店でもシーズンごとに新しい家電が発売され、スマホも毎年アップデートされた新シリーズが発売され、ゲームも毎週新しいものが発売される。

ひと昔前までは、需要に対して供給が少なく、誰もが欠乏とともに生きていたが、令和という現代では供給が需要を上回り、先進国ではモノはそこら中に溢れかえり、毎日何トンもの食べ物が廃棄され、生活必需品に困ることはなくなった。

現代人の意識も常に新しいものを求め、情報しかり、古いものには見向きもせず、新しくてセンセーショナルで刺激を与えてくれるものに夢中になるようになっている。

人が常に新しいものを求めるのは、ドーパミンによる刺激に飢えているからで、既存のものに満足することよりも、ドーパミンをドバドバ放出してくれるような、刺激的で新しいものに飢えていることが原因である。

とくに現代のような情報の流れが早い時代の中で生きていれば、どこにいても常にドーパミンが刺激される社会の中で、まるでトレッドミルを走っているかのように欲求と欲望が刺激され続ける。

もちろん、新しいものを求めることが悪いわけではない。

壊れたものを買い替えることで便利な生活が送れるようになったり、今までやったことがないゲームをやることで楽しい気分にさせてくれたり、新しい情報を知ることで知識や見識が磨かれていく。

でも、何でもかんでも新しいものにすればいいというわけではない。

とくに信念や価値観といったものは、現代の多様性を重視した信念や価値観よりも、昔から伝わっている信念や価値観のほうが現代では有用になることもあるのだ。

 

価値観の多様化が現代社会に与える影響

現代では「多様性」をキーワードに、個性や生き方、信念や価値観といったものが「人それぞれでいい」と言われることが増えている。

「みんな違って、みんな良い」という言葉も、1人ひとり異なる生き方、異なる価値観を持っていることを肯定する言葉である。

たしかに、現代は昔と比べて生き方や価値観が多様化している時代で、個々の好き嫌い、得意不得意に合わせた仕事を選ぶことができ、意見が合わない人や価値観が合わない人とは付き合わず、1人ひとり自由に生きることができる。

でも、それだけ各々の個性や価値観を重視し、自分の自由に生きられる時代になったにも関わらず、精神的に病んでいる人が多いことを不思議に思ったことはないだろうか。

とくに日本においては若者の自殺率は年々右肩上がり、自殺までいかずとも鬱病などの精神疾患の数は昔と比べて格段に増えている。

精神疾患に関しては、今まで病気だと判断されなかった症状が病気と判断されることにより、精神疾患の患者が増えたとも言えるが、それでもこれだけ多様性だのなんだのと言われる自由な国であるはずの日本で、精神的に病んでいる人が増えているのは事実である。

 

なぜ価値観の多様化が生きづらさを生むのか

では、なぜ個性や価値観が多様化した現代において、精神的に病んでいる人が増えているのか。

あくまで個人的な推測に過ぎないが、それは現代人が持つ信念や価値観、生き方が間違っているからである。

生き方には正解や間違いを判断する手段がないため、現代人の生き方が間違っているということが間違いかもしれない。

だが、信念や価値観、個性や生き方といった自由を与えられているのにも関わらず、精神的に病んでいるのは何かが間違っている証だ。

スマホをいじっている時間が長いからだとか、仕事に忙殺されているからだとか、お金がないだとか、そんなものは枝葉末節でしかなく、もっと根本的な部分、現代人の信念や価値観、生き方に誤りがあるのだ。

現代人は新しいものに惹かれ、常に新しいものを求めると述べたが、それはモノに限った話ではなく、信念や価値観に対しても同じである。

個性を重視する生き方、個人主義の台頭、価値観の多様化など、人々や社会の意識は時代とともに刷新され、常に新しいものが生まれている。

 

新しい価値観の脆さと伝統の強さ

でも、新しいものというのはその性質上、脆いものであり、問題が顕在化されていないという点で脆弱なものなのだ。

一方、昔から現代まで伝わっている信念や生き方、考え方や価値観といったものは、時の試練を乗り越えて現代まで伝わっているがため、その性質上、頑強でおおよそ正しいものが多い。

間違った思想や信念、価値観といったものは時の試練によって忘れられ、現代には伝わず、流行ったりもしない。たとえば、ナチス・ドイツの優生思想などがそれにあたる。

現代で流行っている、個性を重視する生き方、個人主義の台頭、価値観の多様化といった信念や生き方は、まだ時の試練を受けていないため、間違っていたとしても問題にはならない。

そして、問題にならないからこそ問題なのである。

現代人は自分たちが間違った価値観を持っていたり、間違った生き方をしていたとしても気づかず、自分でも意味がわからないうちに精神を病んでしまうのだ。

何度も言うが、価値観や生き方といったものに対して正解や間違いということ自体が間違いなのかもしれない。

だが、少なくとも昔から現代まで生き残っている信念や価値観は、間違いだとは言えない。

 

宗教が教える普遍的な価値観

たとえば、宗教は1万年以上前から存在し、色々と形を変えながらではあるが、現代でも宗教という思想は生き残っている。

宗教は人生や生き方において、人類にとって有用だからこそ現代まで生き残っているのだ。

宗教と比べれば、多様性だの個性だの個人主義だのといった価値観は、昨日生まれたものとほとんど変わらない。

宗教と聞くと反射的に拒否反応を起こす人も少なくないが、どの宗教も言わんとしていることは大体同じだ。

隣人を自分のように愛せ。

自分のために他人を害してはならない。

他人にしてもらいたいと思うことをしろ。

自分がされたくないことを人にしてはいけない。

これらの黄金律は、現代の価値観とは真逆であることがわかる。

現代では、個人主義の台頭によって他人のことは気にせず、自分を愛せと言われる。

個性を生かし、自分の利益のために他人を欺き、余計なものを売りつけようとする。

他人に何か与えるのではなく、自分が受け取ることしか考えない。

SNSなどで自分がされたくないことを他人にすることで、自分が優位に立っていると勘違いする。

若者を中心としたこうした現代人の価値観が、生きづらさや精神的な病を引き起こしているのはある意味当然である。

時代によって人々の考え方や価値観が変わるのは当たり前だが、新しく形成される価値観の多くは誤りであることが多いので注意しなければならない。

 

価値観の多様化を超える生き方とは

現代で流行っている個性、個人主義、多様性といったものは、他人との協力を拒み、自分のことだけを考え、自分の人生にしか興味がない人たちを作り出す。

こうした変化は、社会の成長ではなく退化である。

価値観の多様化には、もちろん良い側面もあるが、もし少しでも生きづらさを感じるのであれば、今自分が持っている価値観は間違いかもしれないと疑ってみよう。

たしかに、現代では他人のことをあまり気にしなくても、1人で十分楽しく生きられる時代になっている。

娯楽やサービスが溢れかえり、毎日次々に新しいモノやコンテンツが生まれ、1人で部屋に引きこもっていても問題なく生活できる時代である。

そうした生活に心地よさを感じるかもしれないが、自分のことだけを考えて生きる生き方が、あなたを不幸にしているかもしれない。

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結局のところ、人間という生き物は他人との協力に喜びを感じ、他人を助け、他人に助けられながら生きるのが一番合っているのだ。

古くから生き残っている宗教の黄金律、いわば格言は個人主義と価値観の多様化に毒されている現代人にとっての処方箋になるだろう。

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