最終更新日 2025年3月10日
前からずっと疑問に思っていたことのひとつに「お金で時間を買う」という考え方があります。
自分でやらなくていいことはお金で他人にやってもらったり、時短家電やサービスを買って、その空いた時間を有効活用することで自分の時間を買うという考え方のことです。
掃除は自分でしないでルンバのようなロボット掃除機に任せる、食器洗いの時間はムダなので食洗器に任せる、洗濯は待っていたり干す時間がムダなのでドラム型洗濯機を買う、買い物は込んでいるスーパーに行かずネットス―パを使い、自炊は時間のムダなので外食やUber、健康的な宅食を頼む。
ほかにも、通勤時間はムダだから家賃が高くても職場に近いところに住んだり、移動は乗っている間に効率的に仕事ができるタクシーを使ったりなど、「お金を使って時間を買う」という考え方が、忙しいと漏らす現代人にとっての「普通」になりつつあります。
さらに意識高い系にまでいくと、お金で買った時間を活用することで、使ったお金以上のお金をその時間で稼ぐことができるから、実質的には負担はゼロどころか、年収を上げることにもつながると言う。

お金で時間を買う必要がない人たち
たしかにドラム型洗濯機やら食洗器やらロボット掃除機を買えば、自分で洗濯や食器洗い、掃除をしなくていいので、自分の時間は増えます。
通勤時間が短くなれば睡眠時間が30分多くなるかもしれないし、タクシーで移動すれば連絡を返したり、ちょっとした仕事ができるかもしれない。
でも、まず大前提として、本当に現代人は「お金で時間を買う」ほど忙しいのか。
その忙しさはお金で時間を買うことでしか解決できないのか。
それとも、本当はそれほど忙しいわけではないのに、何となく自分の時間が増えて気持ちいいから、お金で自分の時間を買っているフリをしているだけなのか。
実際、多くの人たちは「お金で時間を買う」という言葉の魅力に引きつけられ、インフルエンサーやら意識高い系やらの人たちの真似をしているだけです。
仮にお金で時間を買ったとして、そのお金で手に入れた時間を一体何に使うのか。

でも、普通の会社員が食器を洗う時間や洗濯する時間、掃除する時間をお金で買い、自分の時間を手に入れて何をするつもりなのか。
お金で時間を買って、時間のムダを効率化したところで、その時間をまたムダな使い方をしていれば意味がありません。
お金で買った時間を、本当に効率的に使うことができると自信を持って言える人がどれだけいるでしょうか。
生活のムダと自分の時間のムダ
「副業をするために、掃除や洗濯といった無駄な時間は削ったほうがいい」という人もいるかもしれません。
ですが、掃除や洗濯、食器洗いといった時間をお金で買ったところで、手に入る時間はせいぜい10分やそこらです。
その10分すらムダにできないぐらい副業に全力を費やしている人はどれだけいるのか。

言うまでもなく、そんな人はほとんどいません。
おそらく多く人は、洗濯や掃除、食器洗いなど時間のムダと言っていたことと同じく、スマホを見たりSNSを見たり、のんびりしたりなどムダな時間を過ごしています。
洗濯や掃除といった時間がムダで、なぜスマホをいじっている時間はムダだと思わないのか。
自分の生活に関わることの時間がムダで、なぜ自分の欲を満たす時間はムダにはならないのか。
つまり、何が言いたいかというと、わざわざお金で時間を買わなくても、自分の時間でやっているムダなことを取り除けば、自分の時間は簡単に確保できるのではないか、ということです。
お金で時間を買うよりも、日々の生活の質を上げていくほうが格段に満足度は高くなります。
ムダな時間はムダではない
現代は効率化の時代であり、何でもかんでも効率的であることが良いとされています。
仕事も生活も旅行もできるだけ効率的にするのが良く、できるだけムダな時間を減らそうと努力する。
もちろん、仕事も生活もある程度は効率的にしなければならない側面はあります。

でも、何でもかんでも効率化すればいいというものではなく、”生活”においては効率化なんて考え方は捨てたほうが人生に味が出てきます。
たとえば、何もせずにぼーっとする時間を持つことは、頭の中を空っぽにして、想像力と創造力を刺激する時間になります。
意識高い系の人たちからすれば、なにもせずにぼーっとする時間なんてそれこそ時間のムダと思いますが、そのムダな時間の中にこそ案外大事なことが眠っていることもあるのです。
ちょっと想像してみてください。
何もかもが効率化され、常に時間のことを気にし、ムダな時間を使わないようにアレコレやることや予定を詰め込み、時間を効率化することを充実した生活と勘違いする。
少なくとも、多くの人はそうした生活には息が詰まると思います。
逆に時間の効率化から離れ、掃除をしたり、食器を洗ったり、洗濯したりする時間が、精神的な抜きになることもあるのです。
むしろ、そうしたものを楽しめる感性こそ、人生で大切なものだと思います。
生活は効率化するほど非効率になる
現代の効率化についての疑問がもうひとつあります。
移動はタクシーを使ったり、掃除や洗濯といった生活に関わるものを時短家電などのロボットにやってもらい、ジムに通って運動する人たちがいます。

本人は効率化している自分を効率的な人間だと思っているかもしれませんが、普通にタクシーの時間を徒歩や自転車で移動したり、掃除や洗濯など生活の中で細かく体を動かしていれば、わざわざジムに通ったりしなくても運動できて健康になれるのでは?
「お金で時間を買う」みたいな効率化された生活をし、身体を動かす時間が減って運動不足になるからジムに通う、なんてのは本末転倒です。
お金で時間を買っておきながら、さらにお金と時間を失っていることに気づいていません。
言い方は悪いですが、現代には効率バカ、生産性バカ、意識高いバカがたくさんいます。
SNSで「貧困マインド」「自分はタダじゃない」「自分にしかできないことをやれ」など、かっこいい起業家やビジネスマンみたいなことを言うわりには、自分の生活の矛盾に気づかない。
生活は効率化すればするほど、非効率になるものなのです。
生活をルーティン化するのであれば、効率化を目的にするのではなく、心の充実を目的にすること。
「お金で時間を買う」こと自体は悪いことではありません。
でも、本当にそれは必要なことなのか一度考えてみましょう。
少なくとも、わざわざお金で時間を買わなくても、それ以上にムダな時間の使い方を改善するだけで、意外と自分の時間は確保できるはずです。