依存と執着をやめるために必要なこと。

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最終更新日 2025年3月4日

依存と執着の2つは、生きていく上でとてもやっかいな感情です。

というのも、人の心がもっとも弱くなるのは、何かに依存したときと執着したときだからです。

現代には依存と執着の対象となるものがたくさんあります。

竜崎
スマホや娯楽、仕事や恋愛、お酒やタバコ、ギャンブルやセックスといったものまで、たくさんのモノが溢れる現代では、簡単に周りのものに依存や執着をしてしまいます。

実際、生きていて何にも依存していない人はいません。誰しも何かに依存し、何かに執着しながら生きてるものです。

依存や執着が悪影響になるのは、それが過剰な依存心や執着心となった場合で、依存や執着自体が悪いわけではありません。

ですが、過度な依存と執着は人生をめちゃくちゃにしてしまう可能性があるので、強すぎる依存心、執着心がある人は、原因を理解して改善する必要があります。

 

依存と執着した状態

依存と聞くと、多くの人たちは恋愛での依存が思い浮かぶはずです。

異性に対し過剰なまでに依存し、その人がいなければ生きていけないと思ってしまう。

自分の傍からいなくならないように常にべったりで、浮気への目を光らせ、いつどこで何をしているかまで詳しく知りたがる。

こうした依存は過剰な依存で、自分だけでなく相手にも良くないため、関係は長続きしません。

ほかにも、依存は何も恋愛だけに限った話ではなく、親や兄弟といった家族、友達や職場の同僚といった相手に対しても、恋愛とは異なった依存心を抱くこともあります。

竜崎
そして言うまでもなく、タバコやお酒、ギャンブルやセックスといった娯楽に依存する人も少なくありません。

一方、執着は依存に似た概念ではあるものの、その対象は人だけに限らず、モノや習慣、趣味や仕事、考えや価値観といった抽象的なものに対して抱く感情です。

たとえば、何がなんでも今の仕事を失いたくないと思うのは、その職業に対して過度に執着している状態です。

人の依存と執着は、抑えきれない感情が起点となっています。

恋人に対する依存も、仕事や他人に対する執着も、自分で自分の感情をコントロールできていないからこそ、自分のものではないものを過剰に求める。

ですが、人生においては自分の外側にあるものを必要以上に求めるのは、不幸のはじまりです。

 

依存と執着は人生の主導権が奪われた状態

依存と執着が人生に与える悪影響の中で一番大きいのは、自分の生活が乱されることです。

自分以外のものに過剰に依存と執着をしてしまうと、いつもそのことで頭の中がいっぱいなります。

それはつまり、自分の生活が充実するかどうかが、自分以外のものに左右されるということです。

竜崎
依存と執着は自分の人生ではなく、他人の人生を生きているのと同じと言っても過言ではありません。

しっかり自分の機嫌は自分で取り、自分の生活を自分でコントロールしているときは、人生の主導権は紛れもなく自分です。

ですが、依存や執着をしているときは、時間も心の状態もすべて恋人や自分以外のものに振り回され、自分で自分をコントロールするのが難しくなります。

恋人に依存している人は、頭の中が常に恋人のことでいっぱいになっていて、自分の人生を生きていません。

生活のすべてが恋人など依存の対象に振り回され、今日が幸せな1日になるか不幸な日になるかは、依存している人の手に握られている。

執着も依存と同じく、執着することに執着することで自分の人生を生きるのが難しくなります。

執着心によって生活リズムやライフスタイルが振り回されれば、人生の主導権は自分にはありません。

常に誰かに依存し、何かに執着している人は、いつも落ち着きがなく不安そうな顔を浮かべ、心配事が尽きず顔色が悪い。

自分で自分の人生をコントロールできていないとき、人はネガティブで消極的になってしまうのです。

 

依存と執着をやめるために必要なこと

依存と執着をやめるには、何が依存と執着を引き起こしているのかを理解するのが大事です。

よく周りの人たちから「楽しみがないとやっていけない」「ストレス発散できるものや、癒しがないと頑張れない」という声を聞きます。

人はなにかをするためにはエネルギーが必要であり、そのエネルギーはマクドナルドや二郎系のラーメン、ステーキやタピオカといった食べ物のカロリーとは別物のようです。

竜崎
結局のところ、人間という生き物には”他人”という存在が不可欠であり、他人に依存しなければほとんどの人は生きていくことができません。

昔の時代にキリスト教やユダヤ教といった宗教が流行っていたのも、何かにすがって不安を和らげるため、何かに依存することで生きる希望を見出すためです。

ですが、不安をなくすために依存と執着をするのは、かえって依存と執着の度合いを深めているだけで、この負のループにハマると抜け出すのがとても難しくなってしまいます。

そこで役立つのが「分散」という考え方です。

分散とはその言葉どおり、依存と執着の対象を幅広く分散することで、1つのことに過剰に依存、執着するのを防ぐこと。

何度も言うように、何にも依存していない人はいませんし、依存と執着することが悪いわけではありません。

考えるべきは依存の度合いであり、執着の度合いです。

竜崎
恋人に依存している人は、友達との人間関係を増やす。執着している人は、ほかのことにも興味と意識を向け、執着のエネルギーを分散する。

人が費やせるエネルギーや熱量には限りがあるので、複数のことに興味が向いていれば、自然と1つのことに過剰に依存や執着することが減っていきます。

逆に言えば、ほかのことに興味を持たないからこそ、依存と執着が過剰になってしまうのです。

 

人間関係の依存は多いほど良い

人生は不安の連続であり、不安な感情を一切消すことはできません。

どんなにメンタルが強そうな人でもあっても、不安な感情に押しつぶされそうなときがあったり、なにかにすがりたくなる日があります。

それでも1つのことに過剰に依存や執着をしないのは、うまく依存と執着を分散させているからです。

不安を解消するために過剰な依存や執着を繰り返せば、心の支えとなるものが自分以外のものとなり、逆に不安定で落ち着かない人生になってしまいます。

竜崎
安定した人生なんてどこにも存在しませんが、依存と執着に飲まれる人生ほど不安定なものはありません。

世の中は思い通りにいかないことばかりですが、その中で唯一思い通りになるものは自分の意思だけです。

でも、依存はその自分の意思を他人に受け渡す行為であり、人生の船の舵取りを他人に任せている状態です。

過剰な依存と執着は視野が狭くなり、それらのことしか考えられなくなってしまいます。

今自分が依存しているもの、執着しているものは、実は自分にとって不可欠なものではありません。

本当に必要なのは、自分の人生を生きることと精神的な自立です。

依存と執着をやめるには、幅広く視野を広げ、さまざまなものに興味や好奇心を持つ必要があります。

恋人の二股はおすすめしませんが、人間関係の依存は二股でも三股でも、多ければ多いほど良い状態です。

依存と執着をやめたい人は、人間関係を増やし、趣味など興味の対象を拡大させてみましょう。

「これがなければ生きていない」と思っていても、視野を広げてみれば世の中にはたくさんの楽しいことに気づけるはずです。

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